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8月30日
先週に引き続き、ゲストは株式会社ワークの代表取締役 田中知加さん。 デザインから販売まで一貫してお作りになられている車のアルミホイール、 そしてそれを作る社員さんとの絆と社名に込められた想い。 今週は改めて会社の歴史を伺っていきます。
「創業は1977年になります。
父が東大阪ではじめました。
元々はレースを特化にした会社に勤めていて、そこで"レースで使われているホイールを市販化したらどうだろう"ということで開発したのだそうです。
当時は鉄製のホイールが主流だったのですが、アルミホイールを開発をして大変な需要があると踏んで起業したそうです」。
最初はどんな形で製作をされていたのでしょう?
「アイデアはあったのですが、作る工場がありませんでした。
こちらのアイデアを言って作ってもらっていたそうです」。
幼い頃から働くお父様の姿をご覧になっていたと思います。
どんな印象でしたか?
「働きづめでしたね。
家族で旅行したこともありませんでした。
夏休みは別行動でした。
仕事と趣味と境目が見えない父親でしたね」。
田中社長ご自身は車やホイールに興味を持ったタイミングはあったのでしょうか?
「子どもの頃から伝票整理のお手伝いとして会社に出入りしていました。
幼稚園からゲーム感覚でさせられていましたね。
字や数字を読めない時期からしていました。
幼稚園からの帰りは現場にいてましたね(笑)。
自然とホイールが周りにありました」。
その後、スムーズに入社?
「いえ、"君は嫁に行け""君は君の人生を自分で稼いで生活しなさい"と言われまして。
全く継ぐ方向ではありませんで就職活動をしていました。
もともと外国語大学に通っていまして、教員免許をとり英語を教えていました。
ところが友人に誘われて旅行会社へ転職。
英語をツールとして使って働いていましたね」。
それではいつ株式会社ワークへ?
「29歳の時に父に呼び出されました。
聞けば商品について海外からの問い合わせが多いとのことでした。
父が言うには現場のホイールのスペシャリストが英語を学ぶよりも、英語ができる君がホイールを学んだ方が早いと思う、と口説かれまして(笑)。
そこから入社しました」。
株式会社ワークに英語力が加わって、さらにパワーアップ。
入社後、どんなお仕事を?
「自ら行商のようにホイールを担いで海外へ行きましたね。
通訳だけでなく自ら営業です。
当時、女性のそういった仕事は珍しくて、先方からも"一人で来たのか?"と驚かれましたね」。
会社を継がれるタイミングはいつだったのでしょうか?
「とても元気な先代でしたので、いつまでも現場にと思っていたみたいですが、ある時に体調を崩しまして。
その時に"君と仕事をしたのが一番楽しかった"と言ってもらいました。
そして"君にこのワークを受け取ってほしい"と。
会社を継ぐということは責任感、義務感がありましたが、考えすぎるとよくありません。
私には助けてくれる仲間がいます。
みんながいるから怖くないです」。
今後のビジョンはどうみておられますか?
「我々の先祖はいろんな工夫をされたと思うんです。
戦時中はモンペに花柄を入れたり、このコロナの中ではマスクを自分でおしゃれにしたり。
制限された中で楽しもうという強さ、欲望。
その欲望を刺激するような商品を作っていきたいですね。
車のホイールって替えれるの? 替えれます。
しかも正しく安全基準を通ったもの。
必ず自分好みのものを選んでいただけると思います」。
車を美しくおしゃれにする。
"日本の文化"はさらに世界へ広がります。
社長はもちろん、社員の皆さんも楽しく仕事をされている。
ホイールを作品と仰います。
作品にはいろんな人たちの思いが込められているんですね。