2020年

7月 5日

砥石から広がる、ものづくりの世界

先週に引き続きゲストはニューレジストン株式会社の代表取締役社長 山内憲司さん。
工業用砥石の専門メーカーとして国内外の建築で商品が活躍しています。

改めて会社の歴史を教えてください。
「創業者は私の父親です。
父は元々、砥石を作っている会社に勤めていたんですが、会社が閉鎖になりまして。
そこから独立した時に多くの社員さんがついてきてくださって、今の会社の原型ができました。
私が中学三年生の頃でしたね」。

創業者であるお父様の姿をみて将来のご自分の姿を想像されましたか?
「当時はそれはなかったですね。
私が次男でしたので。
私はこの道には進まずに銀行に就職しました。
そこで10年勤めました」。

現在に繋がるのは何がきっかけで?
「父が独立したのが50歳の時。
70歳ぐらいになってくると不安に感じてくるんでしょうね。
呼び寄せられまして、長男と兄弟で経営をしてくれと言われました。
2、3年は説得されましたね。
安定している銀行からの転職だったのでうちの奥さんにも反対されましたし(笑)」。

それでも結局は転職されるわけですが...?
「最終的に父から"これだけ説得してもてダメなら勘当する"とまで言われまして(笑)。
こちらも気が短いので"だったら出て行く!"と...。
そんな時に妹が仲を取り持ってくれまして、進むことができました」。

実際に入社されてからはどうでしたか?
「銀行員とは違いましたね。
時間などがしっかりと決まった公務員的な金融機関と町工場。
人が動いた分=仕事といった会社でしたから。
ちょうどその頃に父親が病気にもなって仕事を教えてもらうことがなかったのですが、その代わりに社長室の中を見せてくれと父にお願いをしました。
了承を得てから会社の資料を見たのですが、元々銀行員だったことが役に立ちましたね。
決算書などもスムーズに見ることができて、会社の財務内容や経営状態を把握しました。
そこから新商品の方向性なども決めることができましたね」。

その後、会社はどのように進まれたのでしょうか?
「技術者の社員や現場の社員によく話を聞きましたね。
言葉に宝がありますから。
よく話をして、聞いて商品に取り組んでいきました。
ある砥石の商品を作って販売店に持って行った時にそこの社長さんに言われたことがありました。
"これ勝負かけてるな"。
疑問に思って聞き返したのですが、そこの社長さんは商品を手にとって、形や模様から全部変えてると見てくださったんです。
それを全部変えるということは、設備も全部変えるということ。
だから"勝負をかけてる"と感じてくださったんですね。
それだったらうちで販売するとおっしゃってくださいました。
見てる人は見ている。嬉しかったですね」。

ご兄弟のコンビネーションはいかがでしたか?
「長男は父の仕事を踏襲しながら進めてくれていました。
実務は私に任せてくれていました。
業務的に分担できていましたね。
兄も数年前に亡くなったので私が社長に就任しました」。

将来のビジョンはどのように描いていらっしゃいますか?
「KKM(削る、切る、磨く)というハンドツールという商品構成を強めていきたいということ。
自分たちで工夫、独自製品を作っていくとこいうことですね。
お客さんにもっと満足していただきたいと思います」。

商品はもとより、
製作工程や心意気にも磨きをかける会社なのでした。

竹原編集長のひとこと

現場の声が商品につながってお客さんにつながる。
社長のスタイル、想いが商品に詰め込まれていますね。