2019年

10月13日

全ての世代に響くデザインという人生設計を

先週に引き続きゲストはARATAKA・STAR・HOLDINGS株式会社のCEO中村祐介さん。
改めて会社の歴史を伺っていきましょう。 「私は元々、理学療法士をしていました。

その延長線上の仕事をしようと26歳の時に起業しました。
26歳当時ですから蓄えもない。
若いのに頑張るなぁと言われましたけど、若いからできると思うんです。
少々寝なくても平気でしたし(笑)。
やるのならば若い方が良かったですし、極めて充実していましたね」。

医療サービスを何もないところからスタートさせた中村社長。
駆け出しはどんな様子だったのでしょう?
「有限会社あらたかは2005年から。
資本金300万円をかき集めて自宅兼事務所の西宮の7万円のワンルームからでしたね。
立ち上げメンバーは2、3人。
当時から"ニーズは作るべきだ"と思ってまして、こういうものを用意してあげたら嬉しいだろうなぁという感覚ですね。
高齢者のライフスタイルも様々だと思うんです。
その方たちが必要最低限のものを提供する。
高齢者も忙しいと思うんですよ。
だからこちらのペースを提供するのではなく、パッとリハビリしてパッと食事をして時間を作ってあげる。
そうすると好評だったんです」。

現在会社には経営理念がありますね。
「経営理念はきっと会社に漂うものだと思うんです。
そんな思いから守るべきものを"私たちの7つの心得"として作りました。
例えば"会社のためではなく自分のために働こう"
"人を敬い助け合い、時には赦す愛を持とう"などです。
これは弊社だけでなく、他社にいった時や社会において守ろうというものです。
社員は暗記してくれています。
7つ目が"笑おう"。
我々が笑っていなくてはご利用者さんが笑わないと思うんですよ。」
事業を始めてから大学へ行かれて勉強されたそうですね。
「26歳の時に経営をわからず始めてほぼ自分の勘でやってきました。
30歳ぐらいで経営を学びに行きました
概ね4年近く大学には通っていましたね。
経営を学びながら理学療法士も。
私がそうやっている間にも現場を守ってくれた社員がいるから大学に行けました。
そこで学んだことは大きかったですね。
僕はミッキーマウスでいいと思うんです。
時には広告塔になり、ニコニコして会社の顔になりながら、社員のみんなは意識して僕を活用してほしいですね」。

これからのビジョンはどうお考えですか?
「小さなお子さんからお年寄りまで関わらせていただくお仕事です。
その間の若い世代においても仕事を生み出していきたいですね。
例えば結婚相談所とかレストランとか。
必要なことがあればデザインする。
その地域に必要なものは何でもしたいですね」

ARATAKA・STAR・HOLDINGS株式会社の新しいデザインはもう始まっているのかもしれません。

竹原編集長のひとこと

日本の新しい経営のあり方を見せていただきました
若い世代の力、素晴らしいですね。