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10月28日
ゲストは先週に引き続き株式会社ニシムラの代表取締役社長・西村成広さん。
スタンダードなものをはじめ、隠し蝶番や3次元調整蝶番など3000種類という驚くべき数の蝶番を手がける株式会社ニシムラ。
新しい商品を作ることで市場を広げてこられました。
会社の歴史を伺っていきましょう。
「1935年、昭和10年に祖父が創業しました。
当時の日本はまだまだ襖文化だったのですが、これからドアに変わると祖父が思ったんでしょうね。
そんな閃きを持った祖父自身は黙々と図面を引いているような人でした
元々は桃谷で創業して大阪の空襲で八尾へ。
そんな時代でした」。
会社には変化の時期がありましたか?
「海外の市場に向けて作っていたことがありました。
当時、輸出貢献企業として表彰をいただいたこともありました。
時代の流れから円高の影響を受けて、国内需要に応える形に変わってきた時が大きな転機ですね」
西村社長はこのお仕事に就くまではどんな道を歩んでこられたのでしょうか?
「私は生まれた時から工場の近くにいまして、蝶番がすぐ見えるところで育ちました。
幼い頃から将来はこの会社に入ると思っていましたね」
どういった経営の方針をお持ちですか?
「会社の仕事、いかに製品を作るのが大切かということを常に思っています。
その製品作りには環境の改善が大切です。
良い製造環境が良い製品を生み出します。
社内で改善の提案を年に2回発表会として催していて、合理化に対しての表彰をしています。
環境整備が社員を大切にするということにもつながると思います」。
社内に青年部があるそうですね。
「はい、会社の中の掃除やイベントは青年部組織が企画してやってもらっています。
先日もあったのですが98年からスタートして20回目、毎年恒例の“arch祭”という会社の祭りもしてもらいました。
20代、30代の社員が中心となってやってもらっていましてね、焼鳥や焼きそばなどの店も出して仕入先や取引先の方々にもお越しいただいて、交流を深めてもらう場になっています。
社員のご家族の皆さんも来ていただいています。
とてもお子さんの参加率が高いんですよ。
うちは100人の会社です。
だから隣の人がどんな人でどんなことをしているか分かる会社でありたいんです」。
そんな繋がりがある会社は無災害工場としての顔も。
「蝶番はプレス加工です。
昔は事故が発生したこともあったそうですが、創業者はそれをなくしたいという強い思いがありました。
金型に人の手を入れない、製造の最初から最後まで自動化をしています」
怪我をしない取り組みは防護カバーをつけることをはじめ、安全委員会が社内をパトロールなども。
昭和51年に内閣総理大臣賞を受賞しています。
これからのビジョンを教えてください。
「会社のみんなと新しい開閉の仕組みを考えています。
開き戸引き戸以外の新し開き方です。
社員とのそんな会話がとても楽しいですね。
ドアの可能性を追求していきたいと思います」。
社員同士の繋がり、会社との繋がり。
蝶番のスペシャリスト・株式会社ニシムラは、次なる扉を開け続けることでしょう。
蝶番という昔からある金具に進化を加えた。
時代のニーズを汲み取って応えておられますね。