MENU
7月 9日
ゲストは「仏壇のあるリビング」をコンセプトとする現代仏壇・仏具の株式会社八木研代表取締役社長・八木龍一さん。
仏壇には金仏壇や唐木の仏壇がありますが、リビングにおけるような都市型の仏壇を作っておられる都市型仏壇のパイオニアです。
やはり元々は仏壇を作っておられて…?
「最初は研磨剤のメーカーだったんです。
水と研磨剤が分離していた商品を乳化させることに成功したんです。
仏壇や仏具はその研磨剤を使って磨いていたものなんですよね。
その研磨剤は仏壇業界や自転車業界に卸していました」
意外にも研磨剤を作っていたことが仏具との関わりでした。
ここから目のつけどころの転換があります。
「40年ほど前のことですね…金仏壇、唐木も荘厳で素晴らしいんですが、しかし、家が西洋化していっている時代だったんです。
家具が西洋化しているけど、仏壇が変わらない。
それならば洋間にあう仏壇を作れないかなと父が中心となって動き出したんです」
そこから昭和59年に外は家具、中は仏壇という『自由仏壇』を発表。
「“自由に祀る”がコンセプトでしたね。
キャッチフレーズは“扉を開ければ荘厳の世界”でした。
当時、ホテルで発表会もやりましたね。
園まりさんを起用して、大プロモーション活動をしました。
費用もかなりつぎ込んだんですけど、1年で3本売れただけ(笑)」
パイオニアが故に新しすぎたのか最初は躓きます。
でもそこからが株式会社八木研の力。
「その自由仏壇なんですが、仏壇屋さんからすると“仏壇ではない”と言われたんです。
言われてみると分かるもので、家具と仏壇が統合されていなかったんですよね。
それが原因だったと思います。
家具屋さんに営業をかけたのですが、家具にしたら高いと言われました。
家具としてもよくなかったんですよね。
でもやっぱりこの仏壇は、あかんと思わなかったんですよ。
可能性があると思っていました」
そんな時にある情報が舞い込みます。
「仏壇を買った人がチェストを買いに来る、という話を聞きましてね。
テレビの台を買って、その上に仏壇を載せているような人が多かったんです。
当時、家具は白と黒、ナチュラルの色が流行っていたんです。
そのニーズを取り入れてチェストを入れ込んだ仏壇を発表したんです。
『アーバンメモリー』という商品名で、これはヒットしました 」
失敗にくじけず、さらに情報を仕入れ、時代を読んでお客様のニーズに応える。
そして、自ら生み出した商品を信じ続ける。
険しい道を進む開拓者の信念は固く、時には柔軟でなければならないのかもしれません。
現代仏壇を生み出す前にたくさんの失敗をされています。
でもそれを笑い飛ばす勇気と次に繋げる学習。
やってこられたことは全て糧にされています。