2016年

7月17日

合言葉は「みんなでハッピーになろう」

先週に引き続き、ゲストはトータルプラスチックメーカー・旭電機化成株式会社の専務取締役・原守男さん。
バラエティーに富んだ商品をご紹介くださった先週、そして今週は会社の歴史に迫ります。

「私の祖父からこの会社はスタートしています。
プラスチックの部品なのですが、ラジオのスイッチを作っていたそうです。
そこから片手鍋、両手鍋の取っ手の部分のプラスチックを作っていました。
今では耐熱のプラスチック取っ手が付いているのは当たり前ですが、それまでは違いましたから。
私が幼稚園児でしたね。
そのプラスチックの取っ手が家の工場に何百トンとありました」

会社の二階が住まい、一階が工場という環境だったそうです。
「社員さんのみんなが働いているところでしたが、僕にとっては遊び場でしたね。
でもそのおかげで小さい頃から町工場のモノづくりの現場を見させてもらっていました」

そこから時は流れて、ご自身が働く立場に。
「会社を継いだ兄が経営、僕は開発担当。
バブル崩壊後、大手企業さん商品の部品を作っていましたが、でもその大手さんも海外へいってしまったり、下請けする仕事がなくなったり…。
これからを考えるタイミングでした。
相変わらず下請けを続けるのか、国内で別口を開拓して稼ぐか…。
そこでたどり着いたのが“自分たちで売り上げを生み出せないか”ということでした」

時代の不況がこの事業を押し上げたと言っても過言ではないスタート。
自社製品を作るきっかけでした。
当時の様子はいかがでしたか?
「開発部も営業部も一緒でしたから実際に商品ができても、営業担当がオドオド…商品情報がわからないからなんですね」
すべてが初めてのこと。
迷いや戸惑いもあったことでしょう。
「下請け業から自社製品を作るようになってからも5年ほど悶々としていました。
商品を作ってもすぐにヒットにはなりませんからね。
イチローぐらい打率があるとうれしいんですけど(笑)」

そこからスタートして、現在では年間2〜3000件のアイデアをチェックし、商品化に向けての試行錯誤を展開。
「700件にひとつあるかないか…そのぐらいの確率ですね。
判断基準はただひとつ。
売れるか売れないか、です」

厳しい目をもって生み出した商品。
その過程には旭電機化成株式会社が掲げるこんな言葉があります。
『みんなでハッピーになろう』
「これがモットーですね。
売れないとみんながハッピーになれないですし、人に対しても、もっと優しく、楽しく。
怒ってまで仕事をしません。
僕らは下請け時代に仕事がなくなる状況がありました。
今度はこちらが仕事を一緒にする相手にそういうことがないように、下請けも発明家も地域も国もハッピーに」

旭電機化成株式会社の慰安旅行は社員の旅費諸々は会社が負担。
家族が参加する場合もその半分会社が負担するのだそうです。
家族の思い出もできて、働く環境や人も見えます。
「小さい頃、旅行に来た子どもが、うちに入社して親子で働いてくれている家族がありますよ。
夫婦で社員というところも。
工場見学にきた小学生が大きくなって、面接を受けてくれました」

原さんが幼い頃に見た実家の一階の工場の風景。
時代が変わって工場見学という形になっても、そこに流れているモノ作りの精神、家族的なあたたかさ。
旭電機化成株式会社のハッピーなモノ作りはこれからも続きます。

竹原編集長のひとこと

自社ブランドはなかなか難しい。
しかし、それをどうクリアしていくか。
これを「ハッピー」に体現されていますよね。