株式会社北海鉄工所 代表取締役社長
林 孝彦さん
https://www.hokkai.co.jp/company/hiw/
鏡板、鉄道車両からクラフトビールまで

株式会社北海鉄工所 代表取締役社長
林 孝彦さん
https://www.hokkai.co.jp/company/hiw/
鏡板、鉄道車両からクラフトビールまで
ベル食品工業株式会社 代表取締役
中井 威さん
https://www.bellsyokuhin.co.jp
3000のレシピ レトルトカレー作りのスペシャリスト
先週に引き続き、ゲストは株式会社北海鉄工所の代表取締役社長 林孝彦さんです。
今週は会社の歴史を伺います。
「昭和21年、1946年に創業創立致しまして来年創業80周年を迎えます。
当初は個人事業所で林溶接工業所という会社で設立しました。
昭和21年ですから戦後すぐ。
大阪は造船所が多かったので溶接の請負をしていました。
昭和30年、1955年に株式会社化致しまして、その時に『株式会社北海鉄工所』という社名に変更致しました。
そこから自分たちの仕入れも工場もちゃんと持てるようになりました。
当時ですと、造船以外に石油化学関係のタンク、製缶の仕事。
造船から徐々にシフトしていきました」。

"北海"という社名はどこからきているのでしょうか?
「創業者である私の父が北海道出身...ではなくてですね(笑)。
大阪では"南海"がありますよね。
しかし当時、大阪では"北海"はなかったんです。
北海という名前にしたら注目を浴びるんちゃうか...と。
当時、電話帳の数も少なく"北海"なら多分、一社しかいないんちゃうか...とか(笑)」。
そこから、ものづくり一筋。
製造する機械も自社製なのだとか。
「自社で設計、制作するということにこだわりがあります。
そのきっかけは製缶の仕事。
当時はタンクの蓋の部分に使う鏡板をメーカーさんから購入していました。
そもそも作っている数が少ないので寡占状態。
我々のニーズに合致していませんでした。
それならば、と自分たちで鏡板を内作しようということになりました。
当時は機械もありませんでしたから、いわゆるプレス機械を作って1枚の円盤状の鉄板をプレス機械で抜いて、お椀状にしていました。
どうせやるならば画期的なものを作ろうということで、設計も制作も自社で手掛けました。
完成したのは当時世界ではなかった6000tの副銅油圧プレスでした。
それまではあの鏡板の成形方法は"ろくろ"のように回転させながら、しかも900度ぐらいまで加熱して、鉄を柔らかくして曲げていました。
ですから、一品一品にバラつきがある。
10枚作ったら10枚とも違うもの。
均一にするにはどうすればいいか考えました。
まず熱を使わない、加熱しない。
バラつきの少ない金型を作って一発プレスで作るという加工方法に辿り着きました。
この設備が世の中になかったものでしたので自社設計しました」。
林社長はどのように入社されたのでしょうか?
「父が会社を創業しました。
会社を経営しているという環境にありましたね。
私は4人兄弟の末っ子なんです。
兄と二人の姉がいまして、幼い頃から何となく家業をするだろうなぁと思っていました。
ただ兄がいますので自分は責任のない立場で家業に携わらせてもらって、と(笑)。
そう思っていたらなぜか私に2代目のお鉢が回って参りました。
父から指名を受けました平成28年に社長を拝命しました」。
学生時代から現在の会社につながる方面の勉強を?
「好き放題やってましたんでね。
大学も一応"てつ"なんですが"哲"学のほうですね(笑)。
スチールじゃない。
他に内定をもらって食品会社に就職しようと思っていました。
そうすると父親の側近の方から"あんた何考えてんねん。お父さんの気持ち分かってんのか"と怒られましたね。
自分とすれば何も聞いていない。
でも"お父さんの性格から、そんな事言うわけないやろ、意を汲みなさい"と言われました。
それで今の会社の関連会社に就職しました」。
2016年に社長に就任。
就任後に取り組まれたことは?
「我々の主力商品である鏡板ですが、今、だんだんと国内の産業も縮小しております。
私が入社した当時と今と比べますと生産量は半減しているんです。
今後どうするかということで、最初に手掛けたのは"選択と集中"ということで、2つあった会社を統合して生産性を上げて効率化経営を目指すために、親会社に合弁しました。
来年創業80年を迎える会社ですので、この時代にマッチした色んな変革をすることに力を入れています。
システムや設備の改善、鏡板以外の事業部の立ち上げなどにも力を入れています」。
話題の自社製タンクによるクラフトビール。
社内でタンクを作るコンテストもされたとか。
「我々は元々タンク屋さんですから。
原点に戻って、我々が供給するお客様の気持ちになって作ってみようということになりました。
タンクを作って、そこからみんなの興味を引く、関心の高いものがいいだろうということで、ビールタンクを作る。
一番大きいのは、社員みんなに楽しんで貰いたいんですよね。
楽しむってなかなか難しいですけれども。
会社の価値というのは働く人たちが、いかに、この会社で働いて、自分たちがそこで人生をかけて悔いのないような仕事にできるか。
そのためには物心両面ともにお給料も上げなければいけません。
この仕事をやっていて楽しいと思ってもらいたいですね。
地元岸和田や堺などコンビニやスーパーでも会社のビールを置いていただいています。
社員の家族が店頭で見て"うちのビールあるやん"となると嬉しいですよね」。
最後に未来へのビジョンを聞かせてください。
「来年80周年を迎える会社になります。
社員の皆さんには100年企業を目指そうと言っています。
それがゴールじゃないけども、1つの位置付けとして。
100年続く会社になって皆さんに1人前として認められるような会社にしていきたい。
そのためには社長だけじゃなく、全員がやっぱり次の後継者を作らないといけません。
その後継者をきっちり作って社員がこの会社で楽しめる。
まず我々自身が従業員満足度を上げる会社にしていきたいと考えております」。
