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3月27日
その先の視線は世界へ
“錆びないボルト”で世界的メーカーとなった株式会社竹中製作所の会長・竹中弘忠さんがゲスト。
創業は1935年で、昨年で創業80年を迎えられました。
この会社のルーツはどこにあるのでしょうか?
「うちの父親が淡路島から出てきましてね。
大阪の鉄商人のもとに勤めていました。
当時、安治川に造船所がありましてね。
そこの藤永田造船所の社長に言われたそうなんです。
“これからの日本はものづくりだ”と…」
昭和17年。
藤永田造船所の艦艇用ボルト・ナット、リベットなどを製作しはじめた先代。
その後、第二次世界大戦を経て、 戦後は藤永田造船所とともに商船を作っていたそうです。
その後、日本の高度成長期を迎えた日本。
「私は昭和36年に父の会社に入りました。
当時、私は営業をしていましたね。
入社当時から25年間で取引先を藤永田造船所の1社から450社に広げました」
なんというバイタリティー。
驚きの飛躍です。
「交際費は普通の5倍使いました(笑)」と竹中会長は振り返ります。
「もともとは営業一筋。工場は研修の1年だけです。
その後、私が社長に就くのですが人間の運ってわからないものですよ。
第3次オイルショックがやってくるんですね。
世界的な大不況です。
社長になって初めての仕事はリストラでした」
厳しい時代だからこそ会社の価値を再確認した竹中会長。
「これからは技術力を生かしたことをやろう」
こう決めて動き始めるのです。
「人間はやはり努力・努力・努力ですわ。
そうやって一生懸命やっていると徐々に社員が私を認めてくれた。
就任した途端にリストラをした社長を…。
“つぶれるまでやってくれ”
“残業代もいらない”
ついてきてくれた社員の声が私を後押ししてくれました」
そんな厳しい時代を駆け抜け、 努力の結晶『タケコート』は1990年に大阪で開催された『国際花と緑の博覧会』、かの花博の時に開通した大阪市営地下鉄鶴見緑地線(現・長堀鶴見緑地線)に採用。
会社に文字通り花が咲きました。
その後も電子機器事業部門やETCなどに使われている画像処理部門も開拓。
さらに病院などの配膳カートで機能する電磁加熱技術も展開。
努力の積み重ねで歩んでこられた竹中会長のこれからの展望は…?
「世界一の塗料メーカーになろうと思っているんです。
カーボンナノチューブ塗料を使って、コーティング屋として一業。
そして塗料屋としても一業。
そんな風に思っています」
会長の想いは社員と製品へ。
世界を竹中製作所の色に塗ることはそう遠いことではないかもしれません。
「よそとちがうこと」
これは起業と企業には大切ですね。
努力する人には運も向いてくる!