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上野誠の万葉歌ごよみ
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上野誠の万葉歌ごよみ
毎週土曜日 朝 5:30〜5:45

上野誠(國學院大學 教授)
上田悦子(MBSアナウンサー)
★上田悦子アナウンサープロフィール
utagoyomi@mbs1179.com
上野先生に聞いてみたい事、番組の感想など何でもお寄せください。
〒530-8304 MBSラジオ
「上野誠の万葉歌ごよみ」

【2024年5月11日 放送分】
【2024年5月4日 放送分】
【2024年4月27日 放送分】
【2024年4月20日 放送分】
【2024年4月13日 放送分】
【2024年4月6日 放送分】
【2024年3月30日 放送分】
【2024年3月23日 放送分】
【2024年3月16日 放送分】
【2024年3月9日 放送分】
上野誠の万葉歌ごよみ-歌ごよみ
【2024年5月11日 放送分】
2024年5月11日
【巻】…10・1876

【歌】…朝霞春日(はるひ)の暮れば 木(こ)の間(ま)より移ろふ月を 何時(いつ)とか待たむ

【訳】…春の日が暮れてゆくと、木の間から移ろってゆく月を、いつ出ることかと待つことになるのであろうか

【解】…前回に続いて春の月の歌。朝霞は春日にかかる枕詞と考えられますが、朝に霞がたって春の日が暮れてゆくという、時間経過が感じられます。「移ろふ」もまた、時間とともに変化する様を表した言葉。作者はかつて、木の下で東から西へと移ってゆく月をずっと眺めていたことがあるのでしょう。それをまた見るために、月が出るのを待とうと歌っています。巻の10は作者未詳の作品ばかりで、誰がこの歌を詠んだかは分かりませんが、作者はどういう思いで月を眺めようとしたのでしょうか。

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上野誠の万葉歌ごよみ-歌ごよみ
【2024年5月4日 放送分】
2024年5月4日
【巻】…10・1875

【歌】…春されば木の木暗(このくれ)の夕月夜(ゆふづくよ) おほつかなしも 山陰(やまかげ)にして

【訳】…春になると木陰の夕月夜はぼんやりとしている、それも山陰なので

【解】…前回に続いて、春の月を詠んだ歌です。「春されば」は、春が去ったらと訳したいところですが、「さる」は移動することで、春に移動する、つまり春になるという意味です。春になると木々の葉が茂り、木の下は陰で暗くなります。これを万葉の時代は「木暗(このくれ)」という言葉で表しました。この「木暗」にさす夕暮れの月は、ぼんやりとしていた様子。それは、木陰である上に、山陰でもあるから。くっきりした月は美しいものですが、ぼんやりとした月も雅であると、この歌は教えてくれます。

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上野誠の万葉歌ごよみ-歌ごよみ
【2024年4月27日 放送分】
2024年4月27日
【巻】…10・1874

【歌】…春霞たなびく今日の夕月夜(ゆふづくよ) 清く照るらむ 高松の野に

【訳】…春霞がたなびく今日の夕月夜は、清く照っているのだろうか、高松の野に

【解】…巻10の「月を詠む」と題された歌3首の最初の歌。春霞が層になって流れる夜に月が出ていますが、それが「清く照るらむ」とのこと。「らむ」は現在推量の助動詞。作者は、今居る場所ではなく、高松の野にこの月は清い光を投げかけているであろうと歌っているのです。高松というのは、香川県の高松ではなく、奈良の高円のこと。作者は過去に高円山のふもとで清らかな月を見た記憶があり、今夜も高円の野に同じような清らかな光が満ちている光景を思い浮かべながら歌を作ったのでしょう。このように、静かに想像をめぐらせる時間というのは、現代人にこそ大切なものではないでしょうか。

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上野誠の万葉歌ごよみ-歌ごよみ
【2024年4月20日 放送分】
2024年4月20日
【巻】…10・1852

【歌】…ももしきの大宮人(おほみやひと)の蘰(かづら)けるしだり柳は 見れど飽かぬかも

【訳】…大宮人たちが、かずらにしたしだれ柳は、見ても見ても見飽きない

【解】…柳を使った遊びの歌です。「ももしき」の「もも」は沢山という意味。「ももしき」は沢山の石などが使われている様子を表していて、天皇がいる宮殿である大宮にかかる枕詞です。その大宮に居る高級官僚たちが、春柳を月桂冠のように円形に編み込み、頭につけて遊んでいたのでしょう。同じかずらでも、かぶってみるとそれぞれ個性があって、その光景はとても楽しく印象深かったに違いありません。古代では、何度見ても見飽きないというのは、誉め言葉として最高の表現なのです。

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上野誠の万葉歌ごよみ-歌ごよみ
【2024年4月13日 放送分】
2024年4月13日
【巻】…10・1850

【歌】…朝な朝なわが見る柳 鶯の来居(きゐ)て鳴くべき森に早(はや)なれ

【訳】…朝な朝な私が見る柳、ウグイスがやって来て鳴くような森に早くなっておくれ

【解】…今回は、柳とウグイスの取り合わせです。作者の身近には柳があって、毎朝眺めていたのでしょう。春には柳が芽吹くのを見て楽しんでいたのは容易に想像できますが、それだけでなく、ウグイスがやって来て鳴くような森になってくれと歌っています。森になるまでには何十年かかるか分かりませんが、もちろん本気でそう歌っているのではなく、ありえないことを詠んで楽しんでいるのです。柳とウグイスという、春ならではの光景を早く見たいという、うきうきした気分がそうさせたのかもしれませんね。

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