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ブルーズ名盤百撰 No.6
現在、僕達が「シカゴブルーズ」と呼んでいるものは50年代初中期にマディ・ウォーターズと彼のバンドのメンバー、そしてプロデューサーだったウィリー・ディクソンたちによって作られたエレクトリック・シカゴ・ブルーズ・サウンドのことを指している。その先駆けが1948年のマディがエレキ・ギターを弾き、ベースとふたりで録音したI can't be satisfiedだった。この曲の発売当時の話に発売元のチェス・レコードはこんなもの売れるはずがないと少しの枚数しかプレスしなかったが、いざ店頭に置かれるとあっと言う間に売り切れてしまったというのがある。では、なぜチェスは売れないと思ったのか?実は40年代シカゴ・ブルーズの主流はリロイ・カー、スクラッパー・ブラックウェルの流れを汲む「シティ・ブルーズ」という当時の小洒落たブルーズだった。つまり、田舎の、ほとんどのアフリカン・アメリカンたちの故郷である南部の泥臭い音を排除した都会的なサウンドであり、歌唱だった。それは田舎を捨てて「おれはより自由な洗練された都会に生きてるんだ」というセンスを彼等が望んだ結果だろう。今回の「ブルーズ・アルバム百選」はその40年代デトロイトからシカゴにやってきた華麗なピアニスト、ビッグ・メイシオの話から始めよう。 最初に聴いてもらっているのはビッグ・メイシオの最大のヒットで、いまもブルーズ・スタンダードとして唄い継がれている名曲"Worried life blues"だ。ビッグ・メイシオのピアノ・スタイルは50年代にマディ・ウォーターズ・バンドのサウンド作りの大きな力となったオーティス・スパンや、ジョニー・ジョーンズに引き継がれ、いまも誰かが弾くブルーズ・ピアノのどこかに彼の作ったスタイルが残っている。もう1曲ビッグ・メイシオ。
我が国ではいまだにギター・ブルーズ偏重の傾向が続いていてピアノを弾きながら歌うこのビッグ・メイシオ、オーティス・スパン、チャールズ・ブラウンなどに興味をもつ人が少ないのは残念なことだ。こういうアップ・テンポの曲からバラードまでメイシオのピアノには一聴しただけで彼とわかるオリジナリティがある。この偉大なピアノ・プレイヤーのアーフリー・レコードからの1枚"King Of Chicago Blues Piano, Vol1, 2"を「ブルーズ百選」に入れる。 70年代に日本でブルーズ・ブームが起こった時、1度だけ来日したビッグ・ジョー・ウィリアムスのギターはたぶん一生忘れられないだろう。自分で改造に改造を重ねた傷だらけの9弦ギターはテープで強引にとめらているところもあり、下手に触るといまにも壊れてしまいそうな様相だった。そのギターは彼のトレードマークだったが、放浪を続けた彼の顔にもギター同様の傷がいくつもあった。ひとりで放浪を続ける一匹狼は自分を守ることに過敏だったのか喧嘩早いとの噂が多かったが、1930, 40年代という時代のアフリカン・アメリカンのホーボーが常に安全ではなかった(夜ただ歩いているだけで白人の警官に逮捕されることなどざらにあった)だろうことを考えればそうなったことも当然だろう。そして、彼が見たこの世の修羅場の数もその傷の数ほどはあっただろう。ビッグ・ジョーが何度も通っただろう道、49号ハイウェイを歌った曲。
放浪するビッグ・ジョーは常にどこかへ行ってしまう男だったはずなのに、去っていく彼女に「行かないで」と懇願するこのブルーズはどういうことだ。それほど愛を注いだ女だったのだろうか・・。多くの人にカヴァーされたのはこの歌もいまやブルーズ・スタンダード。
"Highway 49", "Baby Please Don't Go"も挿入されている1935年から47年までのコンピレーション、全23曲入りのアルバム"Baby Please Don't Go"を「ブルーズ百選」に。 さて今日はビッグ・メイシオ、ビッグ・ジョー・ウィリアムスとビッグ続きだが、もうひとりビッグを紹介しょう。 50年代の強力なジャンプ・ブルーズ・シャウターであり、R&Rブームの最中に思いもよらず43才でロックン・ロール・スターにもなり、後年は静かに心をこめて唄ったジャズ・ブルーズ・シンガーであり、時にR&Bというカテゴリーにも入れられてしまうビッグ・ジョー・ターナー! カンサス・シティ生まれのビッグ・ジョー・ターナーが地元のクラブに現れ人気を得始めたのが30年代中期。彼は20代後半。マスター・オブ・ブギウギピアノのピート・ジョンソンとのコンビが話題になり始めた頃、ふたりは36年の12月23日、以前この番組でも取り上げた N.Y.カーネギー・ホールでの「スピリチュアル・トゥ・スウィング」に出演しその豪快なブギで N.Y.の人たちを興奮のるつぼに落し入れた。その時の録音が残っているのでまずはいまから66年前のピート・ジョンソンとジョー・ターナーでジャンプ!
1940年にビッグ・ジョーはデッカ・レコードと契約"PineyBrown Blues" "CarelessLove"などを録音するが、それほどのヒットにはならなかった。その後「ナショナル・レコード」に移籍し、1950年には彼の運命を変えた<アトランティック・レコード>と契約し53年に彼の名前を全国区にした記念すべきHoney Hush(この曲は最初 Yakity Yakというタイトルでリリースされた)をリリース。これがR&Bチャート8週間トップ、ポップ・チャートでも23位まで上がった。
ジャンプ・ブルーズというダンサブルな音楽のトップ・スターだったビッグ・ジョーだが、スローの曲でも素晴らしい歌唱をたくさん残している。つぎのスロー・ブルーズはB.B.Kingで知っている人もいると思うが、実はビッグ・ジョーの方が先にレコーディングしている。
<Honey Hush>, <TV Mama>, <Flip Flop&FLY>などはジョー・ターナー自身が曲を書いているが、アトランティック・レコードの社長アーメット・アーティガンが曲作りに参加しているものもある。次の曲は偉大な作詩家であったドク・ポマスの手によるもの。この軽快なブギウギで腰が動かない人は医者にみてもらった方がいい。
余談だが僕が「ウエストロード・ブルーズバンド」の"ライヴ・イン・ニューヨーク"のレコーディングで歌ったクラブはヴィレッジの[トランプス]というクラブだったが、そこでかってビッグ・ジョー・ターナーが歌っていたことを知り内心、誇りに思え恐縮もした。ブルーズ・シンガーにとってジョー・ターナーはひとつのブルーズ唱法を作った偉大な先達である。多くのブルーズ・シンガー、ジャズ、ロックシンガーたちがいまも彼の残した遺産を訪ねその唱法を自分の音楽に取り入れることをしている。 M6,M7,M8などのジョー・ターナーの名曲が入ったアトランティック時代のコンピレーションをいつもながら<ライノ・レコード>が実にうまくつくっている<VeryBest Of Big Joe Turner>を「ブルーズ・アルバム百選」に入れる。では最後にとどめのビッグ・ジョーのこの時間帯にふさわしいジャンプ・ブルーズを。これで腰がムズっともしなかったら・・・もう知らん。
Vocalion-Decca-Aladdin-Atlantic-Blues way-Publoなどと74才で亡くなるまでいくつかのレーベルを転々としたジョー・ターナーだったが、やはりアトランティックが一番だろう。 |
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