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ブルーズ名盤百撰 No.4
Big MamaことBig Mama Thornton(本名 Willie Mae Thornton)は数多くはないストレートな女性ブルーズ・シンガーだ。彼女の名前はふたりのロック・ミュージシャンが大きく取り上げられる度にその一節に小さく出る。ひとりはエルビス・プレスリーで彼が大ヒットさせた「ハウンド・ドッグ」のオリジナル・シンガーとして、もうひとりは60年代の後半にあっと言う間に咲いて散っていったロックの名花、ジャニス・ジョップリンの名唱"Ball&Chain"のオリジナル・シンガーとしてビッグ・ママは話題になる。前者のHound Dogは1953年にビッグ・ママが悪名高いドン・ロビーのピーコック・レコードから発表し7週間R&Bチャートのトップの座を守った。プレスリーは3年後に録音したのだが、もちろんポップ・チャートでビッグ・ママより何倍もの枚数を売り上げた。1968年にアーフリー・レコードに録音した"Ball&Chain"は星の数ほどあるだろうスロー・ブルーズの中でも秀逸なひとつだ。 ジャニスがカヴァーしたくなった気持ちがわかる。ジャニスのカヴァーの方を聞いている人はたくさんいるだろうが、是非、ビッグ・ママのオリジナルを聞いて貰いたい。但し、この"Ball&Chain"の他の曲はさほど良いとは言えない。同じアーフリー時代のアルバム"Big Mama Thorton in Europe"が素晴らしいのでさんざん迷ったが、ここで「ブルーズ百撰」に入れるのはMCAレコードからリリースされているピーコック時代のコンピレーション「Hound Dog: The Peacock Recordings」にした。 同じドン・ロビーの別レーベル"Duke Records"に在籍し、50年代後期から60年代南部の黒人サーキットではB.B.キングを凌ぐ人気をもっていたレーベル随一の人気ブルーズマンが次のボビー"ブルー"ブランド。
この有名ブルーズはオリジナルのTボーン・ウォーカーの方を知っている人の方が多いと思うが、僕はこのブランドの「Stormy・・・」の方が好きだ。ギターは長らくブランドの右腕だった名手ウェイン・べネット。このベネットがブランドの風格あるブルーズ・シンギングの合間に入れるオブリガードの素晴らしさ。粋でいなせな、ブルーズの極致。これ聞かずして死んではいけない。この曲のドラムがのちにジェイムズ・ブラウンのバンドに入りファンクの源泉"Cold Sweat"を生み出す"ジャボ"ことジョン・スタークス。ジャボの前のドラマーが後にB.B.Kingの「アンユージュアルズ」というバックバンドのバンマスになったソニー・フリーマン(彼が叩いた57年の"Farther up the Road"がブランドにとって最初の全米大ヒットとなった)恐らく60年代は才能あるドラマーの取り合いだったのだろう。アフリカン・アメリカンの音楽にとって最も太い生命線はビートであり、それ故ドラマーの善し悪しはすべてを左右してしまう。では、ジャボの生命力溢れるシャッフル・ビートの素晴らしい曲を聞いてください。
ブランドの活躍は兵役から戻ってきた55年あたりから始まるが、最初はデューク・レコードからジョー・スコットの洗練されたしかしどこかアクの濃い個性的なアレンジの効果も手伝い南部の黒人層主体に売れていく、しかし73年にドン・ロビーがデュークをABCへ売り払ってしまいブランドはABC所属となる。ABCでもクォリティの高いアルバムを残しているが、「ブルーズ」という観点から聞くとその後85年からの「マラコ・レコード」の作品群の方がよい。そして、そのマラコに入ってのすぐのヒット、この番組では何回もOn Airしたブランドの代表曲のひとつとなったこれ。
ブランドは現在もなお第1線の現役として歌いマラコ・レコードからアルバムをリリースしているが、彼のようなディープなブルーズ・フィーリングを持ちつつ歌の上手いブルーズ・シンガーが日本ではあまり人気が出ない。それはブルーズというとギターリスト・シンガーにやたらよりついてしまう日本人の偏ったブルーズへの考えがいまだに矯正されないからだ。ブランドのように楽器を持たない「スタンダップ・シンガー」は日本では人気が出ない。しかし、再々言うが「ブルーズはヴォーカル・ミュージック」これが原則ですから。 ボビー・ブルー・ブランドのアルバムからはデューク時代の"Here's The Man"と"Two Steps From The Blues"のニ枚とマラコの"Members Only"の計3枚を「ブルーズ・アルバム百撰」に選びました。 ブルーズ・アルバム百撰のBの欄に来ているわけだが、大切な人を落とすところだった。
ビリー・ホリディ、ジャニス・ジョップリンにまで影響を与えたベッシー・スミスは1923年にコロンビア・レコードの黒人向けレーベル「Okeh」と契約。以後約8年間にわたっておよそ150曲をレコーディングした。このT'ain't Nobody's businessやBaby won't you Please Come Homeなどはいまも歌い継がれている。ジャズ的な要素を含む彼女のブルーズが後の歌手たちに与えた影響は当然だが、黒人女性として自己主張がはっきりしていた彼女の生き方もまた後輩たちに強い影響を与えたという。彼女の人気が沸騰した1924から25年の録音も含んでいる2枚組のコロンビアでのコンプリート・レコーディングズが最もいいアルバムだと思う。
僕は50年代のシカゴ・ブルーズのボス、マディ・ウォーターズにすごく影響を受けた。そのマディのアルバムに「シングズ・ビッグ・ビル・ブルーンジー」という1枚がある。マディのアルバムの中で格別音楽的に何かがあるというわけではないが、マディ自身にしてみればミシシッピーの田舎からシカゴへ出てきた当初いろんな意味で世話になり、現在の地位を築くことができたのもビッグ・ビルのおかげだと言うことが身に染みてわかっていただけにビッグ・ビルの死後トリビュート・アルバムを作りたかったのだろう。マディがいわゆるエレクトリック・シカゴ・ブルーズを形成する以前、シカゴのブルーズマンたちにとって「兄貴」のような存在だったのがビッグ・ビルだった。ビッグ・ビルはほとんどのブルーズマンがそうだったように南部の出身で若い時に貨物列車に飛び乗ってシカゴにやってきた。最初は間違いなく当時流行していたブラインド・ブレイクの影響でラグ・タイム風のギターを弾いて歌っていた。
はじめての録音は1927年。そこから彼は様々なスタイルのブルーズを残していくのだが、たぶん器用な人だったのだろう流行りものをすぐに取り入れられる才能があった。しかし、逆から見るとこれと言った決め手に欠けるのも確かでピアノとデュオのシンプルで洗練されているシティ・ブルーズ・スタイル、ヨーロッパへ度々演奏に行ったときには要望に合わせカントリー・スタイル・・・。しかし、いちばん有名なのはサックスをいれたジャズ的なしゃれたスタイルで、これはレーベルの名前から「ブルーバード・ビート」と呼ばれた。その典型とも言える曲。
ビッグ・ビルのような多面性のあるブルーズマンのアルバムにはコンピレーション盤が適しているかも知れない。コンピレーションで自分が好きな面を探してから単独のアルバムを買うという手もある。僕はソニーSMEが出している"Warm Witty&Wise"というコンピのアルバムを使っているが、"Good Time Tonight"というこれもコンピ・アルバムで内容は似たり寄ったりだ。自分の時代が過ぎてからも元来面倒見のよかったビッグ・ビルはみんなに大切にされた。そして、次の時代のボス、マディがかってビッグ・ビルがやっていた役割を自然とやることになっていった。 ルイジアナから出てきて何日も何も食べていないバディ・ガイにサンドイッチを食べさせて、勇気づけたのはマディだ。誰の言葉にも耳を貸さなかったリトル・ウォルターはただひとりマディの言葉だけは聞いたという。白人のポール・バターフィールド、マイク・ブルームフィールドはシカゴの黒人ゲットーでもマディという親父に守られていた。マディやビッグ・ビルのような人たちがいたからこそ40-50年代のシカゴは若い、才能のある人たちが続々と集まってくる黄金のブルーズ・タウンとなりえたのだろう。ビッグ・ビルの"Warm Witty&Wise"が入手しやすいと思うのでこれを「百撰」にいれる。最後にもう1曲。 「いろんな楽しい夢を見るけどそれは結局夢でしかないのさ」というブルーズ。
☆今回のブルーズ百撰 |
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