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80年代の"Gangstar Rap!"のその後
前回、ハード・コア・ラップとギャング・スター・ラップをやりましたが、白人との対立だけでなく黒人ラッパー同志の対立が深まり1996年にはラッパー、"2Pac"が翌97年には"ノトリアス・ビッグ"が殺される事件までに広がってしまった。"2パック"なんて面白い名前だな・・とすぐに憶えてしまいました。母親は「ブラック・パンサー」の党員で、父親は彼が二時間早くに亡くなっている。 ノトリアス・ビッグは94年にレコード・デビューし、アルバム"Ready to Die"は200万枚の大ヒットとなった。彼はあっと言う間にイースト・コーストのシーンで最も有名なラッパーとなっていた。が、有名になったがために彼はウエストコーストのギャング・スター・ラッパーたちの格好の標的となった。ノトリアスとウエスト・コーストのラッパー2Pacは仲の悪いライバルで、お互いがハードな性格だった。そして、東西のラッパーたちのどっちが優れているかノトリアスがセカンド・アルバムの準備をしている最中に2Pacはラスベガスで銃殺され、ノトリアスと彼のプロデューサーのパフィはマスコミから非難され、今度はその8ケ月後にノトリアスが殺されてしまった。
こういう同胞同志の抗争に悲しみや怒りをもつアフリカン・アメリカンもたくさんいる。 先週か先先週かジャズ、いやアメリカン・ミュージック界のドン、クインシー・ジョーンズのアルバム「ブロック・オン・ザ・ブロック」からラッパー、アイス・Tなどが入っている曲を聞いてもらったが、あのアルバムから6年、95年にクインシーは「Q'S Jook Joint」を発表。前回行ったアメリカの大衆音楽の過去から現在への流れの検証作業が足らなかったのか、今回はQ'S というジューク・ジョイントつまり酒場という設定で、そこで繰り広げられる大人の音楽を楽しんでもらいながら、アメリカン音楽の醍醐味を検証しょうとする志向のようだ。その中からラッパー5人揃い踏みの曲を。
YoYo, Coolio, Melle Mel, Shaquille O'Neal, Lunizと5人のラッパーが登場するこの曲。たぶんいちばん知られているのはクーリオではないだろうか? クーリオは96年に僕が自分のアルバム「フールズ・パラダイス」を製作し始めたときにアレンジャーの中村きたろう君とお互いにどんな音楽を聞いているのか互いに紹介し合った。その時キタロー君から出てきたのがクーリオだった。アルバムは「Passtime Paradice」。オリジナルのスティーヴィー・ワンダーで知っていたが、ラップされていてもそんなに嫌な感じはしなかった。たぶんそれはクーリオのラップ・スタイルが「ポップ・ラップ」と言われる一番クセのないものだったからだろう。しかし、ヘアー・スタイルはいつも電流がながれている。
そう言えば「ポップ・ラップ」と言えばすごく人気のあったMC.ハマー 、憶えてますか? チームで踊るダンスがめちゃ面白くて、どうしているでしょうか?ラップとか歌で勝負していなくて、ダンスが彼の切り札だった。でも、あれで世界のストリート・ダンス・フリークを増やしたと思う。
ニューオリンズ生まれのラッパー、マスターPのこれまでの人生を見てみるとほんとにアメリカそのものを見ているような気分になる。よくある話だが、彼は貧しい黒人家庭の子供として生まれ育った。バスケット・ボールが上手くてその小学金でヒューストンの大学へ進学するが、足をけがしてNBAへの夢は断たれた。 兄弟のひとりが18才で亡くなり、彼は母の住むカリフォルニアに弟と移住した。それから間もなく、今度はおじいさんが亡くなり、ちょっとしたお金が彼の手元に入ってきた。それを元にして「ノー・リミット・レコード」という名のレコード店を始めた。レコード店には当然若者たちがたむろするのでそこから音楽シーンの流行りを知り、うまいけど売れていないラッパーたちに声をかけヒップホップのアルバムを作るという製作に手を出し始めた。 1993年のこと。仕事には真面目なマスターPは何万単位の売り上げを、次ぎには10万単位にあげ、その次には100万単位に上げた。彼の最初のアルバム"Gettho's tryin' to kill me"から4枚目の"Gettho D"までの3.年間に何百万の単位まで上げたのだから、経営者としての才能はすばらしい。たぶん現在はほとんどラップはせず、映画、不動産、スポーツなどにも事業を拡大した企業家として活動しているはずだ。
いまのマスターPの故郷、ニューオリンズへ初めて行ったとき、夜中タクシーの運転手に「ニューオリンズはどこの辺が危険な地域なんだ?」と聞いたら、ダッシュ・ボードからピストルを出して「どこでも昼は天国、どこでも夜は地獄だよここは・・・。」と運転手は言ってた。つまり夜になれば安全な場所はない。
ラップも時が経つにつれて技(スキル)を争うようになり、僕なんかにはよくわからないのだが、このスヌープ・ドギー・ドッグというラッパーは実に滑らかなラップをするスキルをもっているというので評判になった。グルーヴしながらどれだけ早くラップできるかとか、ライムの韻がどれくらいきれいに踏まれているかとか・・サウンドの個性も大切だが、ラッパーのユニーク性も重要だ。
「アレステッド・ディヴェロプメント」はスピーチを中心に作られたグループ。 92年にデビュー「テネシー」を発表。ここから3曲がビッグ・ヒットとなり一躍スターに、アルバムは200万枚売った。いろんな国の音楽がそこかしこに散らばっているこのグループの音はギャング・スター・ラップよりは遥かに明るい。いま流れているPeople Everydayのは60年代ファンク・グループの「スライ&ファミリー・ストーン」の「Everyday People」をサンプリングして話題になった。
ロスやニューヨークではなくテネシーという田舎から都会で抗争を続ける「ギャングスタ・ラッパー」たちに、「神様がおれを誘った、オレの居場所、そこがテネシー」この静かなラップが全米に支持されたった1枚のアルバムで彼等はスターに。 |
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