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ブルーズ講座 (関西エリア 2001/06/17放送分)


80年代日本のブルーズを求めて
80年代に蔓延したラップ、ヒップポップのルーツ Vol.1

今回の放送曲目


Grateful Days / Dragon Ash

 今日最初に聞いてもらっているのは1999年にリリースされた「ドラゴン・アッシュ」の「Grateful Days」。「ドラゴン・アッシュ」は97年に1st.アルバム「Mustang!」でデビューしたが、ややパンク的なサウンドは単調で僕にはよくあるロックバンドの音のひとつにしか聞えなかった。しかし、その翌年の「陽はまたのぼりくりかえす」そして「Under Age's Song」から彼等はヒップ・ホップのサウンドを大幅に取り入れ始めた。そして、それがリーダーの降谷建志(vo&g)の作る意志のある、クールな詞を引き立たせることになってきた。

 そして、この99年の「Grateful Days」が大ヒットになったのは現代の10代から20代へ向う若い人たちの気持ちのひとつを代弁していたからと思う。この詞のポジティヴな精神性で、気負いの少ないストレートな心情の表現、とくに「父から得た揺るぎない誇り、母がくれた大きないたわり、キミにもらう温かいぬくもり、明日への糧に生き抜くために」という一節が心に残った。

 前回僕は尾崎豊が好きではないと言ったが、彼が自分を取り巻いている状況に対して悲観的、否定的な詞が目立つ。見ている世界がとても狭い気がする。尾崎に「教室で習ったことなどひとつもない」という歌詞があったが、教室で習っていま役に立っていることが僕にはたくさんあるし、彼にもあったはずだ。先生にも同級生にもいいヤツと嫌なヤツはいた。いまの学校教育に問題は多々あるし、尾崎がデビューした頃は校内暴力とか登校拒否がクローズ・アップされた時だっただけに彼の歌に共鳴した人が多かった。しかし、父母からもらったものと同じように先生からもらったものも、同級生からもらったものもあるだろう。教室で得たものがないと言い切ってしまうのはあまりに短絡的、感情的ではないか。一方、降谷くんの歌は「結局、道を切り開くのは自分なんだけど、いま自分がいるのは父母はじめたくさんのひとたちのバックアップのおかげだ」と歌っている。それをあまり声高々に歌わなかったところがよかった。クールネスは世の中が混沌とすればするほど必要だと思う。

 さて、今日の本題だが、いま「ドラゴン・アッシュ」のところでも書いたようにHip Hopというのがここ数年日本でもオーヴァー・グラウンドに登ってきたが、この(ヒップホップ)は70年代後期から広まって80年代にはアメリカでは完全に定着しひとつのジャンルを得ている音楽だ。そのヒップホップの中のひとつが[ラップ・ミュージック]と呼ばれるもの。ひとつ初期の(ヒップ・ホップではオールド・スクール/Old School,Old Skoolと呼ぶ)ラップ・ミュージックをまず聞いてください。

Rapper's Delight / The Sugarhill Gang

 1979年、ラップ・ミュージックがオーヴァー・グラウンドに出た最初の曲がこのシュガー・ヒル・ギャングの"ラッパーズ・ディライト"。ラジオから人気の出たこの曲は結局R&Bチャート4位まで上がった。

 では、「ラップ」とは何か?「ラップ/RAP」とはそのまま訳すと「おしゃべり」のことで、「ラップ・ミュージック」とは曲のビートにのせてグルーヴしながら「おしゃべり」を早口ですること。そして、この「ラップ」と「ダンス(ブレイク・ダンス)」「ペイント・アート/NYの地下鉄で話題になったスプレー・アートなど」そして「ファッション」と言った「ストリート」で生まれたサブ・カルチャーのこと全体を「ヒップ・ホップ・カルチャー」と呼んでいる。もっと広義になると映画、言語なども含まれるが。さて、そのヒップ・ホップ、ラップの起源は・・・。

 1967年ジャマイカからDJ・『クール・ハーク』という男がNYのブロンクスにやってきたのが、ヒップホップ・ミュージックの始まりだとする説がある。ジャマイカ、キングストンからやってきた彼は73年頃に巨大なサウンド・システムをストリートに持ち出して、自らDJをやりストリートをディスコにしてしまった。ジャマイカではすでにサウンド・システムを路上に持ち出してレコードをかけてDJすることは日常行われていた。まあ、移動式ディスコと思えばいい。ハークはそれをそのままやったのだが、ブロンクスの大多数を占める黒人たちはレゲエでは踊らなかった。

 そこで彼はアメリカ、ブロンクスの黒人たちに向けて流行りのファンクやディスコ・ビートのリズム・トラックにのせてリズミックなDJ(喋り)を始めた。これがラップの始まり。みるみるそれを真似しはじめる黒人たちがニューヨークのブロンクスを中心に増えていった。ラップが流行り始めた初期に中心となったのが いま聞いてもらったSugarhill Gang そして、ドイツのテクノ・グループ[クラフトワーク]に影響されコンピューターによる打ち込みのリズムを使ってメッセージ性の強いラップを打ち出し、現在のハウスの原型となるサウンドを作ったAfrika Bambaataa(アフリカ・バンバータ)。

Unity part1 / Afrika Bambaataa&The Godfather Of Soul James Brown

 ニューヨーク、ブロンクスの若い黒人がヨーロッパの白人テクノクラフト・ワークを聞いていたというだけでもおもろいが、アフリカ・バンバータは82年に「プラネット・ロック」というアルバムで名を挙げてから2年ほどたった84年に、いまの「Unity」というアルバムを子供の頃からの憧れであるジェイムズ・ブラウンと製作。

 JBとの共同アルバムのような形をとってはいますが、バンバータのサウンドにJBが飛び込んだもの。。

 Sugarhill GangそしてAfrika Bambaataa、そしてもうひとりのオールド・スクールの代表がGrandmaster Flash(グランド・マスター・フラッシュ)。彼もブロンクスで子供のころからダンスやペインティングなどをストリートでやりながら、育ってきた。19才の頃からディスコでDJをはじめ、DJのスキルのいくつかを彼は生み出した。そのひとつがCutting(カッティング)と呼ばれる同じビートの、ふたつ異なる曲を繋ぎ合わせてレコードをかける技術だ。あと、指でレコードを逆に回転させひとつのグルーヴを続けるback-spinning(バックスピン)ターン・テーブルのスピードを変化させるphasing(フェージング)などもある。

 では、グランド・マスターのクールなサウンドを!

The Message / Grandmaster Flash&The Furious Five

 時代を追ってみると40年代から50年代にブルーズの全盛があり、そこからゴスペルが導入され50年代終わりから60年代、R&Bからソウルへとスタイルは移行しサム・クック、レイ・チャールズ、アレサ・フランクリンなどが主流になり、60年中ごろジェイムズ・ブラウンがストリートの感覚をもったダンサブルな音楽ファンクを生み出していった。

 そして60年代終わりから70年代初期にかけてスライ・ストーンが「ファミリー・ストーン」を率いてJBとはちがうファンク(JBが漆黒のファンクならスライはロック色を入れたりする極彩色のファンク)を創造した。そのスライに影響を受けたJBのバンドにいたブーツィ・コリンズ、そしてバニー・ウォーレル、ジョージ・クリントンなどが「ファンカデリック」というファンクの絵の具をぶちまけたようなサイケなファンクをプレイし始めた。それが70年代中ごろ。

 その頃まではファンク、ソウルは生き生きとしていたが、次第に黒人ファンクからただ16ビートを抜き取ったような、ユーロビートと言われるヨーロッパ白人の単調な、センスのないサウンドとビートが流行るようになった。レコード会社は安易に作られるそちらに走り、音楽産業がとてつもなく金を生むものになった反面、とてつもなく製作、宣伝に金が必要になった。

 80年代に入りアメリカがレーガン政権になると失業が増え、社会福祉財政の切り詰めなどが始まったが、そういう影響をモロに受けるのはアメリカ最下層の黒人他、カラード・ピープルだった。そして、金のないブロンクスの若者たちはコカイン、クラックなどの売買に手を染めるようになっていった。

 そういった閉息する80年代ブロンクスの若者たちが学校にも行けず、働く先もなく、金もなく、楽器も買えず、なんとか自分を表現したいとはじめたのが始めたのがヒップ・ホップ・カルチャーの根底だ。音楽におけるラップはそのひとつのスキルであり、サンプリング、スクラッチもそうだ。そういった新しい動きを真っ先に取り入れ、メジャー・シーンにSugarhill GangやGrandmaster Flashのレコードを送り込んで驚かせたのが、シュガー・ヒル・レコードだ。

 そのシュガー・ヒル・レコード初期、シュガーヒル・ギャングに続いてブレイクしたシークエンスの「Funk You Up」。

Funk You Up / The Sequence

 いまや「サンプリング」という言葉はいろんな分野で使われているが、音楽においてはひとつのレコードから一部の音を抜き取って使うことを言う。「サンプリング」されている回数がもっとも多いひとりがJBだと思う。「パブリック・エナミー」などはグループ名からしてJBの曲名からとっているが、 L.L.クール.J,RUN-D.M.C. そしてビッグ・ダディ・ケイン・・。そのオリジナルのミュージシャンに了解を得ないでサンプリングするのは違法だし、中には無断で借用されたと裁判沙汰になることもある。しかし、JBは「一言、連絡をくれよな」と言っただけでサンプリングには最初から寛容だった。僕がいま一緒にバンドをやっているドラマーの鶴谷に次のJBを聞かせたとき「これたくさんサンプリングされてますよ、元はここだったのか・・」と感心してましたが、いかにも「サンプリング」されそうな曲です。そして、その次ぎにこれをサンプリングしたRUN-D.M.C.を聞いてみよう。

 「サンプリング」がどういうものか分かってもらえると思う。ではJBから。

Funky Drummer / James Brown

 このFunky Drummerという曲はほんとによくサンプリングされているらしいが、この曲の入った[Jungle Groove]というアルバムはJB・フリークの僕にとって5位内に入るヒップで、クールな一枚だ。では、サンプリングした[RUN-D.M.C.]の曲を。

Run's House / RUN-D.M.C.

 少しはサンプリングがどんなものかわかってもらえたと思う。ある意味ではサンプリングされたことでJBは若い人たちに再び知られることになった。つまり自分の宣伝になったわけだ。この宣伝効果をどうとらえるかでサンプリングされたミュージシャンのヒップホップへの態度が決まると思う。この他にもDJがレコード盤を針でこする「スクラッチ」など様々な技を黒人たちは生み出してきた。つぎの曲はそういう当時の技を楽しめる1曲です。

Break Dance Electric Boogie / West Street Mob

 さて、話をラップが蔓延していく頃に戻すと、4曲目にかけたThe MessageというGrandmaster Flashの曲は下層に生きる黒人の生活をシンプルに語ったものだった。

 そこには「アメリカン・ドリームなんてあるわけねえじゃねぇか!!」という彼等の不満や、明日の見えないやるせない毎日を送る彼等の気持ちが写し出されていた。(アメリカは良くなってなんかいない)とゲットーの若者は発信していた。次もグランドマスターのそんなメッセージです。これがかっこいい。

White Lines (Don't Don't Do It) / Grandmaster Flash&Melle Mel

 ある種ラップはブルーズと同じような状況から生まれてきている。僕はそこにすごく惹かれるものを感じていた。金なんかなくても音楽はできる。「悪いね、あんたの音ちょっと借りたよ、Me~~~~~~~n」次回はもっともっとディープなゲットーへ。

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