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80年代のブルーズシーン〜アメリカ編 Part.2 アメリカはブルーズ復活の兆し? 少し前の話題になるが、アメリカ政府がシカゴの「チェス・レコード」の建物を買い取って記念館のようなものにするというニュースがあった。アメリカでは80年代からブルーズをアメリカの伝統民族音楽として捉えようとする動きがあり、全米各地でブルーズ・フェスが増えたのもその一環ではないだろうか?ブルーズが天然記念物や無形文化財みたいに捉えられるのはリアル・タイムの音楽ではなくなったようで僕は好ましいとは思わないが、何しろ歴史の浅い国だからそういう歴史的なものを好む傾向がアメリカにはあり、日本の京都や奈良なんかをアメリカ人が好むのもひとつには自国にそういう文化財的なものが少ないからではないだろうか。 しかし、ブルーズを保存(?)する前に何故ブルーズという音楽が生まれたのかを白人の方々はもう一度考え、後世に白人が黒人を虐待した事実もしっかり伝えていただきたい。80年代から現在に至るそういうブルーズの保存、復活の要因には前回のスティーヴィー・レイ・ボーンの出現、そしてクラプトンが火をつけた「アン・プラグド・ブーム」からきた「ロバート・ジョンソン」のボックス・セットの好セールス、映画「ブルーズ・ブラザーズ」や「クロス・ロード」の制作とヒット、クラブ「ハウス・オブ・ブルーズ」の設立と好況などいくつもあるのですが、ミュージシャンで言えばレイボーンと並んで80年代のブルーズ界の話題となったのがこのロバート・クレイの登場だった。
高校の時にアルバート・コリンズのブルーズに出会ったのがブルーズにのめり込むきっかけだったというクレイは僕より若い1943年の生まれだ。ジョージア州に生まれたが軍隊にいた父親の仕事の都合で転々として育っている。ギターを初めて手にしたのは12,3才の頃というからまあフツーか。コリンズのブルーズと出会う前まではジミ・ヘンなんかをカヴァーしていたという。初レコーディングは1978年、トマト・レコードからでアルバム・タイトルは"Who's been talkin'"。この時もブルーズ・ファンの間ではなかなか力のある新人が登場してきたと話題になった。そして、一般的に話題になり始めたのが83年の"Bad Influence"発表後で、翌年のW.C.ハンディ賞では4部門で受賞。久しぶりに登場した黒人の新人ブルーズマンということでひっぱりだこになり、折からのMTV・ブームで映像が流れたりもした。その頃評判になっていたのが次の曲で、亡きアルバート・キングもカヴァーしていた。
とにかく歌は上手い。自分をよく知っているというか、そのふくよかな声質を活かしたなめらかな唱法はとても聴きやすく万人受けする感じが最初からした。しかし、難を言えばインパクトに欠けるというか、最終的に上手い、下手でないところが大事なブルーズにとっての衝撃度のようなものがこの人には欠けている気が僕はずっとしている。だから、いい曲はいくつもあるが何を歌っても同じという印象がある。この人ならこれという極め付けの一曲というのがない気がする。現在まで何枚アルバムを出しているのか、わからないが歌もギターもテクニックは充分あるのにオーティス・ラッシュやB.B.あたりの評価が得られないのは残念だ。例えば次の曲などもいい曲だけどスケールの大きさに欠けている気がするのだが・・。
前回取り上げたレイボーンと比べるなら歌は断然このクレイの方が上手い。ギターは・・ちょっとスタイルが違うので一概に比較するのもなんだが、レイボーンのようなハチャメチャさというのがクレイにはない。彼が好きだったというアルバート・コリンズのようなフレイズは少ないが圧倒的な「押し」にもやや欠ける。実はジョン・リー・フッカーの前座として初めて来日し、その後彼とツアーを3本ほどいっしょにやった。ライヴの打ち上げの席でもとても大人しくて、礼儀正しく、僕がそれまで見てきた"酒、女、酒、女・・・"のブルーズマンとはまるで違っていた。 確かいつもある程度の時間になるとホテルへ帰っていったような記憶がある。こっちが酔っぱらっていたので記憶が定かではないのだが・・。ある時ブルーズの話をしている時に確かリトル・ウォルターのアルバムは何がいいかと言う話になり、僕がこれがいいのでは・・というと手帳みたいなものに彼は書き留めていた。他のミュージシャンが言ったものも書き留めていたから「まじめな奴」だなぁという印象が広まったのを覚えている。しかし、後にも先にも黒人ブルーズマンにブルーズをレクチャーしたのはあの時だけだ。 比較的新しい彼のアルバムを聴いてないので97年のアルバム「スイート・ポテト・パイ」から1曲聴いてみよう。
ロバート・クレイはもっとスケールの大きなブルーズマンになる可能性があるだけにがんばってもらいたいところだ。アメリカの80年代以降のブルーズの盛り上がりに一役買ったのがこの人たちの活躍だった。
役者、コメディアンであるジョン・ベルーシとダン・エイクロイドが作った映画「ブルーズ・ブラザーズ」の大ヒットだった。ハード・ロックギタリスト、スティーヴ・バイが出演した「クロス・ロード」という映画もあったが、あまりヒットには至らなかった。しかし、このブルーズ・ブラザーズはまさに全米ヒットとなった。 全編ブルーズだけというわけではなく、60年代の黒人音楽を中心にソウル、ブルーズ、ゴスペル・ミュージックをふんだんに使ったコメディで出演ミュージシャンもアレサ・フランクリン、レイ・チャールズ、ジェイムズ・ブラウン、キャブ・キャロウエイ、などなど素晴らしいメンバーだった。 そのアレサが旦那役のギタリスト、マット・マーフィー相手に歌った曲がこれだった。
前にも特集したブルーズ・ブラザーズだが、僕は彼等が映画のプロモーションに来日した時に会い、セッションをやったのだが、ふたりは実によくブラック・ミュージックを知っているし、愛していた。ジョン・リー・フッカーの登場場面ではジョン・リーの足下から映像がはじまったが、あれはジョン・リーがリズムを刻む足音がレコードに入っていることを承知の仕業だったし、楽器屋の親父に扮したレイ・チャールズに歌わせた"Shake Your Tail Feather"なんか知る人ぞ知る"ファイヴ・デュウ・トーンズ"というマイナー・グループのファンキー・ソングだ。次の一曲もキング・フロイドが71年にヒットさせたファンキー・ナンバー。このあたりの選曲もセンスがいい。
日本でも「ものまね何とか」で黒人ミュージシャンをパロディする人たちがいるが、ベルーシやエイクロイドのような愛情を感じられない。ただ、笑い者にしているようで不愉快に思うことが僕は多い。笑いにもっていくには深く、細かな芸と愛が必要だ。 そもそもベルーシとエイクロイドはNBCTVの人気コメディ番組"サタディ・ナイト・ライヴ"のレギュラーとして人気を得て、その番組の中ですでにこの"ブルーズ・ブラザーズ"の原案は練られていた。76年頃にスリム・ハーポの有名ブルーズ曲"キング・ビー"を使ってその"サタディ・ナイト・ライヴ"で蜂(Bee)の格好をしてアホなコメディをやっていたベルーシを僕は憶えている。 そして、スティーヴ・クロッパー、ダック・ダン、マット・マーフィといった敏腕のミュージシャンたちが選定され"The Blues Brothers Band"がつくられた。そして映画よりさきにアルバム"Briefcase Full of Blues"が78年リリースされすぐにトップ40に入った。 映画が公開されたのは80年。だから、あの映画は用意周到、しっかり何年もかけて計画され作られたものなのだ。でなければあれほどの大御所たちが出演するわけがない。安いつくりの日本の「ものまね何とか」などとても見ていられない。 彼等は60年代のファンキー・ソングだけでなくジョー・ターナーのこんな楽しいブギ・ブルーズも劇中で流してくれた。
1982年にジョン・ベルーシがドラッグの過剰摂取で急死してしまったため、来日時に僕にも話してくれたパート2はNGになってしまったと思っていたら98年に"Blues Brothers 2000"が公開された。しかし、やはりパート1の勢いとハチャメチャさはなかった。考えてみればあのハチャメチャさはベルーシ自身のもっていたハチャメチャさだったのだ。吉祥寺のライヴハウスで演奏していた僕たちのところへやってきたベルーシの最初のひとことは「ここはシカゴのクラブか!」だった。
このようなポピュラリティーのある映画の制作、新しいブルーズマンの登場、新しい感覚のブルーズ・クラブの設立など様々な要素がからんでアメリカはブームではない、日常の音楽としてのブルーズ・ミュージックの取り込みに80年代入っていった。さて、そんな頃日本では・・・それはまた、来週。 |
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