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ブルーズ講座 (関西エリア 2000/04/23 放送分)


ゴスペル特集
ゴスペル・シンガーからソウルへ、そしてまたゴスペルへ
Al Greenの彷徨った熱い魂


Back Up Train/Al Green/Back Up Train


今日最初に聴いてもらっているのはかって「メンフィス・ソウルの貴公子」と呼ばれたアル・グリーン。これはこの毎日放送の千里のスタジオのレコード室で見つけたお宝レコードでアルのデビュー・アルバム”Back Up Train”からそのタイトル曲を聴いてもらってますが、まさかこんなアルバムがあるとは・・・千里の山は宝の山だ。
ちなみにこの曲は1968年のリリースでR&Bチャートで5位、POPで41まで上がった。
しかし、何と言っても彼の名を世界に知らしめたのは、このセクシーな曲でしょう。

Let's stay together/Al Green


この71年の大ヒットによってポピュラーなシンガーとなった彼は、その後”I'm still in love with you”や”Love And Happiness”そして”Take me to the river”などたくさんのヒットによって70年代中ごろには「サザン・ソウル」のトップに立っていた。熱くて、ハード、つまりコテコテの「サザン・ソウル」は大看板であった。

オーティス・レディングの急死もあって70年代に入ると退潮し、その中心的存在であった「スタックス・レコード」が倒産。サザン・ソウル、メンフィス・ソウルは終りか・・と思えた頃、このアル・グリ−ンを筆頭に新しいサザン・ソウル・サウンドを作ったのが同じメンフィスの「HI Records」。オーティス亡き後、スタックスのあたらしい看板となり、サザン・ソウルのトップに立つと思われていたジョニ−・テイラーも会社の倒産でアルにその座を取られた感じだった。

そして、60年代”スタックス・サウンド”が一世を風靡したように、70年代今度は”ハイ・サウンド”がアル・グリーン、O.V.ライト、アン・ビープルズ、ドン・ブライアントなどを擁してサザン・ソウルを引っ張っていった。
お聞きのようにHI のサウンドはゆったりして、ソフトでクール、剥き出しのソウルのスタックスと違いシルクの生地をふわっとかぶせた感じがする。ストリングスを入れ、歌はファルセットを使って囁くように歌い、リズム隊はやや重くドライヴしながら淡々とキープされる。これは「HI Records」のメイン・プロデューサー、ウィリ−・ミッチェルの指示によるものだが、ジャズ・トランペッターとして、スタジオ・ミュージシャンとしてアレンジャーとしてミッチェルはスタックス全盛の頃からメンフィスのミュージシャンに尊敬されていた。
この朴訥さを残しつつ、洗練され、エレガントなサウンドは70年代初期「ニュー・ソウル」と言われた時代にぴったりとハマって全米から「ハイ」で録音したいという依頼が殺到した。
当時まだまだ濃いディープなサザン・ソウルが耳にこびり着いていた僕にはかなりソフトなサウンドで囁くように歌うアル・グリーンの歌は最初軟弱なソウルに聴こえたものだった。

その印象を覆したのが1978年の彼の初来日だった。「東京音楽祭」(まだやってんのかなぁ・・)に出演するために来日したアル・グリーンは「Belle」という曲でグランプリに輝き、その直後コンサートが中野サンプラザで行われ僕も行きました。
ライヴでのアルはアルバムの印象と全然違い、囁くように歌い始めた曲でも、途中から一気に盛り上げ最後には「ヒィーッ!」とスクリームし、それでも収まらずピョンピョン飛び跳ねながら歌いつづけ、何かに取り憑かれてるみたいで、とにかくそれまで持っていたソフトな印象とまったく違うアルだった。では、そのライヴの中の曲を。

All"n"All/Al Green


ハイテンションで、喉をしぼるようなシャウト、ファルセットを多用するジェット・コースターのような歌い回し、そしてその最後までダウンしないパワー、このライヴで僕は一挙に彼のファンになり、もう一度アルバムを聞き直したものです。
この時収録された” Tokyo.....Live”は彼の唯一のライヴ盤だが、この時の東京公演がソウル・シンガーとして、つまりポップなアル・グリーンとしての最後の頃のステージだったことを後になって知った。この時期彼の中ではソウルとゴスペルが混在していたという。

彼のあの来日公演の激しさとディープさはゴスペル、そして信仰の気持ちに支えられたものだったのだ。僕はこの時期の(73年)彼のアルバム”"Call me”、”Livin' for you”が好きですが、僕が彼のBestだと思うアルバムはその後の74年”Explores Your Mind”。その中のゴスペル色の強い曲を。

Take me to the river/Al Green



♪『アル・グリーン ゴスペルへの転向』

”Let's stay together”の大ヒット以後、70年代初期彼はマービン・ゲイなどと同じようにソウル界のセックス・シンボルだった。そして、1973年。人気が上昇し連日ステージが続く忙しさの中、彼の人生を決定する出来事が起る。
ハードなツアー途中の夜、疲れ果てベッドに倒れ込み、翌朝早く誰かの声で彼は目が醒めた。その時のことを彼はこんな風に言っている−『その声はこう言っていた-「あなたは私のことを恥じているのか?」この言葉は僕の心を切り刻むナイフのようだった。僕は自分自身を恥じた。神を、キリストを恥じるなんてことがあるわけはない。僕は恥じることなく声を出して「神様、感謝します。」と何度も祈った。真実の瞬間だった。そして、自分を偽ることなく僕は信仰の世界に入ることにした。』
つまり彼は神の啓示を受けて、「Born Again(再生)」つまり再び生まれ変わり、世俗の音楽(ソウル)から信仰のために歌うゴスペルへ戻っていくことになった。

このようにソウルからゴスペルへ戻る歌手は他にもたくさんいるし、中にはR&Rのリトル・リチャードのようにゴスペルへ戻ったのにまたポップへ帰ってくる人もいる。この辺りの信仰の話になると無信仰な僕には完全に理解できないところがある。

アルは衝撃的な啓示を突然受けたが、彼は一挙にゴスペルの世界に戻ったわけではなかった。啓示を受けたのが73年、しかし完全なゴスペル・アルバムをリリースしたのは78年だ。この5年間彼はふたつの世界(ソウルとゴスペル)を両方持とうとしていたという。
彼ほどのスターになると抱えているものの量と質が違う。「HI」レコードの一番のドル箱スターであり、サザン・ソウルのトップ。彼をめぐって多くのお金が回っており、それで生活している人たちもたくさんいる。よくいるようなソウル・クラブ・シンガーだったのをウィリ−・ミッチエルに見い出されて、スターの座に着いた者のその座に対する未練もあるだろう。彼も自分の欲望がずっとつきまとってくることに悩んだといっている。貧しい南部の小さな町で育った彼が金、人気などそれまでに得たものをすべて捨て去る決意をするというのは、相当のことだ。
彼はこの頃までに6曲をPOPチャートのベスト10に入れ、5曲がR&Bチャートの1位になり当時で総売り上げ枚数が3千万枚を超えていたが、ゴスペルの世界では何百万枚というようなレコードのセールスはまずない。しかし、アル・グリーンはアルバムにゴスペルやゴスペル調の曲を時々入れてきた人で、常に精神的には神の世界を強くもっている人だろうとは思っていた。
僕の好きな”Livin' For You”のアルバムに入っているそういう曲です。

My God is Real/Al Green


いまの”Livin' For You”と”Call Me”の2枚は神の啓示を受けた73年に出したアルバムだが、この頃彼は精神的に混乱していた。つまり、自分の心に正直に生きているかということを自身に問いかけていた。1974年に発表された”Explores Your Mind”は僕が彼のベストに挙げる、ソウル時代の頂点のアルバムだと思うが、まさか彼が精神的に迷っている時期だとは知らなかった。

確かに”God Bless Our Love””Take me to the river”などゴスペル色の強い曲もあるが、そういう曲はそれまでのアルバムにもしばしば登場した。僕が”Explores Your Mind”をベストにあげるのは楽曲の質の高さ、歌詞の内容の充実と言葉の美しさ、そしてやはり精神的に悩んではいたが、充実していたのか上手いだけでなく、深みのある歌が素晴らしいからだ。初期の囁きとねっとりとした歌い方から少しづつ離れて、この頃にはゴスペルで見せるストロングな一面も見せている。

75年の”Al Green is love”は彼自身に言わせると本当のタイトルは”God is love”だったと言う。76年の”Have a good time”、”Full of fire”はあきらかにゴスペルへぐっと近づいた。そして78年の来日の前の”Belle”は完全なゴスペル・アルバムであり、完全に再生したアル・グリーンの第1弾だった。

Belle/Al Green


アルバム”Belle”は彼自身のプロデュースで、彼自身が持ったスタジオで、すべて彼が書いた曲でできている。アルバム・ジャケットで「これは新しいアル・グリーンを祝うアルバムなのだ」と彼は言っている。
その前、76年には彼はメンフィスに自分の教会を持った。牧師として奉仕し、説教をし、信者とともに祈る・・・・教会が彼の主な活動の場となった。来日の折、他のメンバーより遅れて来たのは朝の礼拝にどうしても出たかったからだという話もあった。
あのテンションの高さと終わりのないような強烈なグルーヴ感、パワーはやはりゴスペルからきているものだった。あの時点ですでに彼の歌はすべて「神」に捧げられていたのだ。
では、すっきりとゴスペルを歌うことができる状況になり出した次の81年のゴスペル・アルバム”The Lord Will Make A Way”からタイトル曲を。押さえても押さえてもパワーが出てくる感じがします。

The Lord Will Make A Way/Al Geen


78年以後、1981年”The Lord Will Make A Way”、82年”Precious Lord ?”、82年 ”Higher Plane”、83年”I'll Rise Again”、と堰を切ったように彼はゴスペル・アルバムをリリース。いくつものグラミー賞ゴスペル部門に輝いているだけあって、どれも高いクオリティを保っていますが、いい意味で聴きやすいポピュラリティをもっているのも彼のゴスペルの特徴です。では、82年のアルバム”Precious Lord”からみんなもどこかで聴いたことのあるこの曲を。

What a friend we have Jesus/Al Green


アル・グリーンは10人いる兄弟の6番目としてア−カンサスの綿花畑に囲まれた田舎で1946年に生まれた。当然生活は苦しく学校が終ると母の手伝いをし、夕食が済み手伝いが終ると兄弟はゴスペルを歌いコーラスをした。なかなか上手かった彼らは自分達の通う教会で歌うほかに中西部の教会や、ゴスペル・サーキットを回った。

20才を過ぎて彼は憧れていたサム・クックのようにソウルを歌いはじめ、今日の一曲目の”Backup train”を68年に歌い、そこそこヒットしたので彼はツアーに出れるようになったが、稼ぎはなかった。ある夜、テキサスのミッドランドのクラブでリハーサルをしている時、「君をスーパー・スターにしてやる」と訪ねてきた男がいた。彼こそその話通りスーパーにしてくれたウィリ−・ミッチェルだった。その時アルは住んでいたミシガンへ帰る金もなかった。ミッチェルは彼に金を与え、一度ミシガンへ帰ったらすぐにメンフィスへきてレコーディングしょうと言ってくれた。アル・グリーンの成功はそこから始った。

ソウルの道を駆け上がり、サザン・ソウルのトップ立ち、すぐにまたゴスペルへ戻った。彼は突然の神の啓示を受けたと言っているが、成功した者に集る欲望むき出しの人間たちにいやになり、愛想を尽かしていたのでは・・・と思う。成功するために、売れるためにレコード会社はアルが決めたアルバム・タイトル名も変えてしまう。そういう世界です。せちがない、人間としての精神的な絆など求めない、そのくせ口では友達のようなことを言う。いいものを作りましょうなんていう。

日本でもそれは同じで、実は僕の友達はあるレコード会社と契約しているのに、新しい曲もありいつでもレコーディングできるのにアルバムを作ってもらえない。いわゆる飼い殺し状態だ。なぜ作って貰えないか・・・その理由をレコード会社に求めたところ「タイ・アップが取れないから」つまり、ドラマのテーマとかコマーシャルに使われないと作らないとレコード会社は言っているそうだ。もう、日本ではそういうものに使われないと音楽は作れないのか?彼が作っている個性的ないい曲が世の中に出ないで、みんながそれを聴くことが出来ないほんとに不幸なことです。でも、僕たちにはアル・グリーンのように戻る世界がない。救われる方法はたくさん知っている素晴らしい音楽の中に自分の身を置いて、心を鎮め、パワーを貰うことぐらいだ。そして、辛抱強く次のチャンスを待つだけ・・・。

今日は最後に勇気のでるアル・グリーンのこの曲をその友人にプレゼントしたい。

Best love/Al Green


hey!hey!The Blues is alright!Keep on movin!Bro.




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